「ホワイトハートレーンはいつ以来だろうか?去年、U−17リーグで来た時以来かな」
明也はロンドンに移住した日に自転車でやって来たホワイトハートレーンに特別な思いがあった。イングランドに来て、初めてゲームをしたのは、トッテナムパークだった。あの時はまだ12歳、今では着ることが出来ないホワイトボーイズのウエアを着ていた。自転車で走ったロンドンは、とても気持ち良かった。ハイベリーを出て北に向かって走った。気がついたらトッテナムまで来ていた。トッテナムパークでフットボールを見ていたら、一緒にやらないかと誘われた。アーセナルの関係者が知ったら何を言われるかわからないスパーズサポーターとのゲーム、怒られるんじゃないかと心配した記憶がある。あれが初めてのノースロンドンダービーだったかもしれない。明也にとってトッテナムホットスパーには特別な思いがあった。あの時ゲームに誘ってくれたスパーズサポーターの名前が思い出せない。矢野明也は、ゲーム直前のホワイトハートレーンの通路でそんな事を考えていた。
アーセナルの選手がピッチに姿を見せると、ハートレーンのスタンドは大ブーイングが起こった。ベンチ脇を通過する時、うっすら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ジャック、あれが矢野明也だろ。あの野郎は、随分でかくなったな」
「爺さん、あいつだってもう16歳になっているんだよ。普通だよ、まあ16歳にしちゃ小さいくらいだよ」
「ジャックだ!」明也は、トッテナムパークで会ったスパーズサポーターを思い出した。明也がベンチの上方を見るとジャックと目があった。「爺さん、矢野明也が、こっち見たぞ。俺のことが分かったかもしれないぞ」明也にもそんな会話が聞こえたが、ピッチに入るとブーイングが全ての音を消し去った。
スパーズの選手が入って来るとブーイングは、大歓声に代わった。スタンドには、「矢野明也を止めろ」そんなバナーが溢れている。中には「Kill ・・・」なんてのもあった。
「明也、危ないバナーが並んでいるな、スパーズの連中は、お前を潰しに来るぞ」明也の隣に並んだケヴィンが言った。「スパーズには負けないよ。どのカテゴリーでもホワイトボーイズがレイソロスに負けてはいけないのと一緒だよ」「えっ?」ケヴィンが言った時には、セレモニーの握手が始まって明也は先に動いていた。「スパーズの皆さん、今日の明也は本気だよ」ケヴィンが呟いた。
アーセナルのキックオフでゲームが始まった。アーセナルのボールキープにブーイングが続く。3-4-3に並んだフォーメーションのアーセナルだった。正方形の点と線を繋ぐ前線と最終ラインの選手達8人。正方形を構成する点となった選手が、正方形の縮尺を変えるような動きを繰り返したポジション取りをしている。正方形に囲まれたエリアで自由に動き回る2人の選手。
背番号28と54をつけた2人がボールを繋ぎ動かしている。矢野明也とケヴィン・クランツの2人が、縦になり、横並びになってボールを動かしている。スパーズ選手は、4-4-2に位置して、激しく鋭い寄せでボールを追い回す。タッチの僅かなズレが、ボールロストに繋がる。アーセナルの選手は、そんなスパーズのプレスをワンタッチ、ツータッチの少ないタッチ数でいなす様にボールキープを続けていた。
ボールは、プログラムされたルートを通過するように動いていた。
(続く)