パスを回し、ボールを支配して攻撃を作る。相手の間間に味方が顔を出して横と縦のパスを組み合わせていく。誰が教えているのだろう。クライフイズムを知っている人だろうか。サッキイズムを学んだ人だろうか。バルセロナが好きな人だろうか。
パスで作るサッカーを見るとどうも教科書通りに見えてしまう。いいサッカーというよりも型にはまりすぎたサッカーに見えてしまう。サッカーの攻撃は、意外性が命であり、相手の対応力を超えることが基本となる。教科書通りのパスサッカーには、それが見えない。教えられたことを教えられたとおりに出来ることはいいことだが、これだけでは個性に欠ける。やっている者が誰でもよくなってしまう。
標準化された技術というのは、物を大量生産する工場ではいいのかもしれない。だが、これではサッカーがつまらないものになってしまう。サッカーは驚きがなければ楽しくない。やるほうも観るほうもそこにこだわりたい。教科書通りのサッカーを見たいとは思わない。意外性溢れた技とアイデアのあるサッカーが見たいものだ。
拝啓審判殿:少年サッカーの審判を見ていたら、必死に反スローのジャッジをする審判がいた。インプレー中のファールはほとんど見逃していたが、反スローは見逃さないぞという雰囲気だった。線の外は見ているがオフサイドラインを見ていたかも疑わしい。何の競技のジャッジだろう。陸上の投てき競技の審判と勘違いしているのかもしれない。審判が、インプレー中のつかみ合いやあとからタックル等のファールを見ていない。こんなゲームは荒れる。
審判が、傲慢な気持ちでゲームをコントロールしようとするのは論外だが、邪に熱くなった選手を鎮めないのはジャッジとして失格だろう。