特別な個は必ず生まれてくる。サッカーを指導するものは特別な個を見つけなければならない。それが指導者の役割であり、指導者の最も重要な能力だ。成長ホルモンに問題のあったメッシは、アルゼンチンでは見逃されてしまった。たまたまレシャックの目に留まったから今のメッシがいる。30年に1人の逸材もレシャックの目に留まらなかったら見ることが出来なかった。メッシも幸運だったが、メッシを見ることができる幸運を世界中の人が享受している。メッシのような唯一無二の個は、育て作り出すにはどうすれば良いのだろう。
サッカーの指導者は選手を看る眼が無ければならない。特別な個の才能を見逃してしまう指導者は世の中に溢れている。そして才能を潰してしまう指導者も溢れている。元々特別な子だった才能を自分が伸ばしたと勘違いしている指導者も掃いて捨てるほどいる。指導者はサッカーを知らなければならないのは当然のことだが、個の力を知らなければならない。戦術を生半可に知っていることが、個の力を潰してしまうことを知らなければならない。個それぞれが超えるべきハードルをバーを壁を与え超えることに喜びを持たせることが指導のテーマになる。
ビッグクラブや強豪クラブといった知名度のあるチームに入ると常に生き残りというプレッシャーに晒される。メッシと同じ時期にバルサのラ・マシアに入った選手でプロになったのはメッシだけだった。87年組メッシ世代と言われるセスクやピケ、ペドロは後から入ってトップチームに上がった。運も必要だと言われるが、運を掴むのは個それぞれだ。メッシという史上希に見る才能を若いうちに見てしまうと自信をなくしてしまうものだ。メッシに合わなければ強い個になり、プロになっていただろう。ポゼッションサッカーをどの年代も取り入れるバルサにあって、数的優位を作るポジショナブルプレーを植え付けられた子供たちがメッシの個の力で自信を失い、サッカーが出来なくなった。強い個、特別な個はどんなときも数的優位(特別な個から見れば数的不利)を苦にしない。ベッケンバウアーは、自陣DFの最後尾で相手FWの複数のプレスを受けても簡単にかわし、突破しゲームを組み立てていた。自分が最高の個である自信からそんなプレーも普通に出来ていた。
個のたくましさは自信から生まれる。自信はその個が超えてきたハードルや壁に比例する。超える喜びの大きさに比例する。そんな壁を越える喜びを経験させる指導が重要になる。でも勘違いしてはならない。個はひとりでに育つもの。指導者が造ったものではない。数的優位をもろともしない特別な個が生まれるチーム、そんなチームにいたいものだ。