U-15全国フットボール選手権 代表決定戦が始まった。オープニングゲームは、U-15県チャンピオンの九里が浜FC対東葛城FC戦。東葛城FCの選手は秀才揃いで地域の秀才が集まる東葛城高校、通称東葛高校に進学する。秀才揃いで所謂勉強が出来る選手達だ。フットボールのこともよく勉強しているので出来る、出来ないは別にして技術的なことや戦術的なことをよく理解している。戦術的な対策を練ってゲームに臨むので対戦相手は苦労する。U-15県選手権でも習知野FCを苦しめた。那須に5本の決定機をビッグセーブされPK戦で敗退という惜敗だった。東葛FCは決定機の数で習知野FCを完全に上回っていた。
九里が浜FCの初戦は、そんな東葛FCが相手だ。キックオフは午前10時。未来の子供達が苦手とする午前のゲームだった。
会場は八幡浜臨海球技場。この時代では、数少ない天然芝のフットボール専用競技場だ。
会場には、九里が浜を見るため他チームの選手や関係者が集まっていた。東城、西塚、阿部の繰り出す夢のようにプレーは見る者を楽しませ驚かす。市井のトリッキーなプレーは局面でとても有効で対策を考えておかないと痛い目を見る。一清を中心とするDF陣は穴がないように見える。
U-15県選手権の時、九里が浜FCは完全ダークホースでノーマークだった。だが今回は違う。他のチームは打倒九里が浜で向かってくる。九里が浜を無名の弱小チームとなめてかかることはありえない。
九里が浜は、3-1-3-3の並び。東城が先発から外れている。スタンドからがっかり感が伝わってくる。FWは右から榊野、タ士丸、堀内。MFは同じく阿部、市井、西塚。アンカーに諸宮。DFは、宇能、海東、唐草。GKは一清だった。前3人は新しいセットだった。
東葛のキックオフでゲームは始まった。東葛の布陣は驚きのファイブDFだ。5-4-1の並びだが、スイーパーを置いているので実質は1-4-4-1になるかもしれない。東葛陣に戻されたボールは、MF内からDF内を動いている。繋ぐ意識を感じさせるプレーだ。だが、前には進んでこない。本来ワントップのはずのFW選手もDFラインまで下がってボールを繋いでいる。九里が浜の選手達は、相手の動きを慎重に追っているが、同時にボールの取り所を探している。余裕があるのだが、緩い。これでは相手にプレッシャーがかからない。ただ、九里が浜の選手達は、網を狭めるようにボールを動かすスペースを消していく。既に九里が浜陣に残るのは一清だけになっている。
「蹴ってくるかな」そんな予測が頭をよぎった直後、一清の元にクリアボールが飛んできた。東葛ワントップのFWが追いかけてくるのが見える。一清は間合いを見ながら、左の唐草に出す動きをする。すると東葛FWはパスコースを塞ごうと飛び込むようなブロックをしてきた。一清は右にターンして東葛FWを空滑りさせ、宇能にボールを送った。空滑りした東葛FWは起き上がるとボールの追いかけ自陣に戻っていく。
この東葛FWはチーム一の秀才、キャプテンであり、技術的な面でもチームトップのものを持っている。身長は1m50㎝を少し超えた程度。東城ほどではないが小さい。でもよく動く。90分持つのかなと思わせる。この東葛FWの名前は、吉谷太郎(よしや たろう)という。
東葛FCは九里が浜のことを研究していた。1人ひとりの特徴を分析して対策を立てていた。1対1の場面を作らないこと、不用意にボールを取りに行かないことを実行していた。九里が浜FCはボールを保持して攻撃を仕掛けるが、フィニッシュに行くまでに僅かなズレを起こしていた。西塚のドリブルが空回りする。前に立たつだけコースを消すだけのディフェンスに違和感を持った西塚は無理なドリブルを仕掛けて攻撃のリズムを壊す。阿部が左右に揺さぶるドリブルを仕掛けても密集を作られバックパスでやり直しになる。市井の瞬間芸が決まりかけたが、フィニッシュで精度を欠きゴール にならない。西塚とタ士丸のダイレクトパスがつながり密集する中央をこじ開けたかに見えた流れもシュートは枠を外れゴールネットに収まらない。未来の子供達のドリブルは、相手を誘っていなしてかわすスタイル。相手に待たれると機能低下していた。唯一突っかけて切り裂くドリブルする東城は、ピッチにいなかった。チームのバランサーである諸宮には吉谷が密着マークして自由を奪っている。諸宮から始まるパスで揺さぶる展開をさせない狙いだった。
前半30分、圧倒的にボールを支配してシュートを打ち続けた九里が浜にイライラが目立ち始める。ディフェンスラインの裏に飛び出した市井がキーパーと1対1になった。市井はファーストタッチが僅かにズレてキーパーに詰められた。一瞬判断が遅れたため足を上げボールを突こうとした。だが、これがキーパーの足を払うファールとなってしまう。ボールコントロールミスと判断の遅れが招いたプレーだが、イライラで抑えが効かなかった。スパイク裏が見えたこと、完全にキーパーの脚に入ってしまったので印象が悪かった。レフリーの胸ポケットから赤いカードが出される。赤紙1発退場。九里が浜には厳しい判定に思えた。10人になった九里が浜。ゴールを奪えずイライラがピークに向かう。
フットボールは技術とアイデアが優っても100%勝利するとは限らない。イライラというメンタルの乱れが、技術を低下させ、アイデアを独り善がりの思いつきに変える。こんなメンタルの乱れは、1つのゲーム中でも1つのシーズン中でも起きることだが、勝ち続けた時の方が起きやすいかもしれない。変だという違和感や見えない何かに追いかけられている様な落ち着かない感覚が動きや思考を縮めていく。
逆境では、状況を受け入れ謙虚な姿勢で立ち向かうからその状況を乗り越えることができる。だが、順境では、謙虚さを失い、勢いや流れで勝てたことなど忘れてしまい、自身の力を過信する。本来の自分からかけ離れてしまったことに気づかない。だから順境ほど怖いものはない。上り坂は苦しいものだが、リズム良く上ればチームが1つになって強靭化されていく。だが、下り坂になった時に上り坂と同じ様な上り方をすれば、バランスを崩す。ひとたび頂点を極めるとそれまでは目指す頂点しか見えてなかったのに、八方の景色が視界に入るようになる。その達成感によって心に隙が生まれる。集中力が低下する。忍耐力が低下する。謙虚さや真摯な姿勢を失う。
遅れて来た榊野とタ士丸、斎長兄弟が加わり、層の厚みと個の多様性を手にしたことでまだ県チャンピオンという地方タイトルしか手にしてないのに九里が浜FCは謙虚さを失った。盤石に見えたのは表面だけで、九里が浜の選手達、未来の子供達は慢心という謙虚さとは正反対のものが心を支配していた。東葛FCの秀才達に自分達を分析され対策をされた事で弱点だけが目立つようになってしまった。もはやU-15選手権を圧倒的に制覇した九里が浜FCと違うチームがピッチにいた。ボールを支配し、ゲームを支配し続けても得点がなければ、勝利は掴めない。決定機を逃し続けるとそのツケは必ず払わなければならない。フットボールの神様は、そんな展開が大好きだ。ボールとゲームを支配しているほうのチームに試練を与える。乗り越えてみなさいと。イライラが焦りに変わり、プレッシャーを感じ始めると試練を乗り越えることは出来ない。フットボールの神様は謙虚に真摯にフットボールを実演するチームに勝利を与えようとするのが常だ。
そして、狂った歯車に追い打ちを掛けるミスが、九里が浜を襲う。一清まで届いたロングボールを一清は中央の諸宮にフィードしたはずだった。諸宮に出されるボールを狙っている選手がいたのに。吉谷が、ボールを掻っ攫うようにカットして縦に抜ける。海東は呆気にとられ追うことが出来ない。一清が詰めていくがループで頭上を抜かれる。これ以上ないタイミングで打たれたループシュートだった。時間が止まりボールだけが動いているような感覚だった。唐草が我に帰り、ボールを追った時は既に手遅れだった。
一清と諸宮が意思疏通を欠き、不注意且つ曖昧な判断が招いた失点だった。だが、フットボールでは起こり得ることだ。前線に入り込み過ぎたFWとMF陣は戻ることを怠った。そしてその流れを予知すること、カバーする準備を怠ったDF陣。チーム全員の緩んだ気持ちが失点に繋がった。1人少ない九里が浜FCが前半40分に失点する。慢心という自分自身の中にある敵と戦うことが如何に難しいことか。失点した瞬間の未来の子供達はまだ理解していなかった。緩んだ心を戻すことは体を元に戻すことより難しい。
だが、東葛FCの吉谷は、余計な言葉を発してしまった。自陣に戻りながら、諸宮のそばで「九里が浜なんて大したことないじゃん、東城を使わないからこうなるんだ。ザマアミロ」と。
この言葉は諸宮の中に眠る獅子を起こすことになる。謙虚さを捨てたチームは神の罰を受ける。試練ではなく罰をだ。たった1点のゴールで相手チームを罵倒するようなチームをフットボールの神様は許さない。前半の残り5分間、諸宮が別人に成る。吉谷とマッチアップして全く何もさせない。ボールは、諸宮を起点に、吉谷を囲むように動き、諸宮に帰ってくる。東葛の選手が吉谷のサポートに入るが、ボールは速度を上げ動き出す。そんな諸宮の意図とボールの動きによって九里が浜の選手は眼を覚ます。1人少ない10人の九里が浜の方が、多くいる様に見える。渦巻きの様な動き、本来の動きに戻った九里が浜は、東葛ディフェンスを穴だらけにする。散々揺さぶったところで諸宮から榊野に強いダイレクトパスが通された。ここで榊野の真骨頂が出る。ノータッチターンでキーパーと1対1になるつもりだった筈だ。皆が、そう思った。が、振り向いて前を向く瞬間、榊野は自分の右足にボールが当たってこけてしまう。「えーっ!」と諸宮が声を上げる。だが、榊野の意外性は実に不思議な力を持っていた。榊野の右足に当たったボールは生きていた。キーパーも榊野の動きにつられて逆をとられていた。ボールはゴールネットに吸い込まれていった。ツキが回ってきたのかも知れない。
こけた榊野は、立ち上がるとゴールネットに吸い込まれたボールをとり、「もう1点いくよ〜」と真面目に声を出した。東葛FCの選手達は呆気にとられている。未来の子供達は、可笑しかった。ピッチの選手もベンチも退場した市井も榊野のプレーでイライラが抜けた様だ。未来の子供達は眼を覚ました様だ。前半終了直前に西塚とタ士丸のダイレクトパス交換による中央突破で東葛ディフェンスを切り裂くと最後は西塚からフリーの榊野にボールが出される。今度は本当に流し込むだけのシュートだった。「何もするなよ!普通にうてよ」と九里が浜の選手達は息を呑んだ。榊野は左足を振り抜く。「ゴ〜ン!」という効果音のおまけ付きゴールだった。
2-1となったところで前半終了の笛が鳴る。
諸宮はベンチに下がりながら、榊野をいじる。「みのりさん、魅せてくれるね〜、一本目は今日のファーストタッチゴールで、二本目はセカンドタッチゴールでしょ、ポストに当てて入れるところは普通の人には出来ないね、さすがの芸人領域」と。榊野は40分以上ボールにさわってなかった。みんなから「吉哉のかわりができるね」そう言われると「吉哉のかわりは無理だろう」榊野は真顔で答える。「でも今日は吉哉を使わないでいこう」「だから早くゲームを決めなきゃ、吉哉が出ると言い出す前に」
東城吉哉は怪我をしていた。10日前のトップチームとのゲームでムサオにレイトタックルを後ろから貰い、右足首を酷く痛めていた。千代南とのトレーニングマッチの頃は表情には出さなかったが、かなり痛かった筈だ。痛みを隠して練習に参加していたので悪化していた。今日のゲームも出ると言って聞かなかったが、幼なじみの卓士と行人に諭され引き下がった。
ハーフタイムは、海東が檄を飛ばした。リードしていてもまだ1点差で1人少ない。ここで終わるためにこの場所に来たのではない。吉哉のいない九里が浜は並以下なんてこと言わせない。東葛FW吉谷の言葉は未来の子供達の闘争心に火をつけた。
後半が開始する。堀内を下げて、中林を入れた。タ士丸を左トップにして中林をセンターにした3-3-3のフォーメーションになった。
中林とタ士丸のタッチ後、西塚から阿部、諸宮と繋がれた。吉谷が迫って来る。諸宮は相手にせず阿部に戻す。吉谷は阿部に向かう。阿部は諸宮に戻す。吉谷が向かって来る。諸宮は西塚に送る。九里が浜陣センターサークル付近は、諸宮、阿部、西塚と吉谷が鳥籠練習、ロンドを見ている様だった。東葛選手は入って来ない。吉谷1人が走り続けている。少しずつ東葛陣に進み始めると東葛MFが寄せて来る。ボールが諸宮に渡ると吉谷が勢い良く詰めて来たところで諸宮は吉谷をいなしながら股抜きして次のMFが寄せる直前左FWタ士丸に右足のアウトをかけた中弾道のパスを送る。タ士丸はファーストタッチでDFを交わしペナに切り込むと中林にパス。中林がスルーしてボールは榊野に向かう。 榊野はペナ右角から右足振り抜く。ダイレクトシュートは右アウトにかかりゴール左角に突き刺さった。榊野はハットトリック達成。
「決まったかな」榊野が呟くと諸宮が、「まだだよ」と返す。「今日のみのりは別人だ。何か違うぞ」そんな声が聞こえてくる。後半開始早々にノータッチゴールが決まり、大勢は決した。 後半10分、相手DFを完全に揺さぶってからタ士丸が裏に抜け出しキーパーを抜いて4点目のゴールが決まる。東葛には反撃する力は残ってなかった。西塚と阿部がドリブルでDFを切り裂き1点ずつ決めて6点。後半40分にタ士丸がエリア内で倒されPK。中林がセンターに叩き込んで7点目が決まる。前半は弱点を晒した九里が浜だったが、吉谷の一言で元に戻った。榊野のキャラが救ったとも言える。吉谷は試合終了後涙を浮かべていた。自分のたった一言でゲームを壊したことが分かったのかもしれない。フットボールは続く、今日のことを乗り越えれば吉谷はレベルアップするはずだ。神様はそれを期待しているから。
ベンチの東城は、ほっとしていた。Qファイナルは間に合う筈だ。市井の出場停止でMFセンターが空いている。1週間後東城は出るのか?
(その9に続く)